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『食べものから学ぶ世界史』【エコ的読書録】

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こんにちは、むるまです。
去年、一昨年から引き続いて、食のことが気になっています。
そんな中で最近出会ったのが、こちらの本。


食べものから学ぶ世界史 人も自然も壊さない経済とは? (岩波ジュニア新書)

2021年7月に出たばかりのこの一冊。
世界史、と銘打ってはいますが、ただ過去を振り返るというより、気候危機やパンデミック、格差といった課題を抱える現代に対する問題意識に裏打ちされていて、面白くて一気読みしてしまいました。(しかもジュニア新書なので、歴史苦手なワイにもとってもわかりやすい)

そんなわけで今回は、この本からの学びを踏まえて、特に引っかかったトピックについてまとめてみようと思います。

目次のご紹介

さて、まずはこの本の目次を見てみましょう。

  • はじめに
  • 序章 食べものから資本主義を学ぶとは
  • 第1章 農耕の始まりから近代世界システムの形成まで
  • 第2章 山積み小麦と失業者たち(世界恐慌から米国中心世界の成立まで
  • 第3章 食べ過ぎの「デブの帝国」へ(戦後〜1970年代までの「資本主義の黄金時代」)
  • 第4章 世界の半分が飢えるのはなぜ?(植民地支配〜1970年代「南」の途上国では)
  • 第5章 日本における食と資本主義の歴史(19世紀の開国〜1970年代)
  • 第6章 中国のブタとグローバリゼーション(1970年代〜現在)
  • おわりに 気候危機とパンデミックの時代に経済の仕組みを考え直す

どうでしょう。
これだけで、面白そうな雰囲気が伝わるのではないでしょうか。
どの章も興味深かったし、共有したい情報に溢れていたのですが、今回は、わたしが特に知りたかった第4章「世界の半分が飢えるのはなぜ?」を中心にご紹介しようと思います。

コモンズの喪失と、資本という物差し

と、その前に。序章を読んでわたしが感じたことを2点、共有しておきたいと思います。

ひとつは、近年富に耳にするようになった、コモンズについて。
少し長いですが、以下、引用します。

 かつて世界のほとんどの地域で大多数の人たちは、自然に近い農村に住み、自分達の食べるモノ、着るモノ、使う道具などを、基本的には自分たちで作って、食べたり着たり使ったりしていました。労働とは、自分や家族が使用するモノを自分たちで作ること。田畑を耕し、種をまいて作物を育て、家畜の世話をして、その収穫物を料理して食べ、その残骸やふん尿を土に戻して地力を保つ。そのための資源は、自分の田畑か借りた土地か、村が共同で使う野山や川や海などの周りの自然環境でした。

こうした共有財産を、日本では入会地(いりあいち)と、英語ではコモンズ(commons)と呼びます。

しかし、多くの人が農村部を離れ、都市部で賃労働をするようになると、守り手のいなくなった共有資源は、次第にその豊かさを失っていきました。
更に、すべての土地が「誰かのもの(資産)」になることで、名実ともに村の共有財産としてのコモンズは失われていきました。

そしてもう一つは、現代的な“価値”が、無意識のうちに貨幣経済の物差しに大きく依存してしまっていることです。
筆者は、資本主義的経済システム(capitalist food system)の中では、人の幸せや自然環境が企業的な損得勘定に含まれず、むしろ費用(コスト)を要するマイナス要素になっていることを指摘します。

自分が家庭菜園で有機栽培した野菜を、自分で料理して、おいしく健康な食生活をすることは、人と自然がハッピーにはなれても、GDPには計上されず経済成長につながらないのです。

コモンズや、人としてのささやかな幸せは、いずれも資本主義の物差しでは測れない価値です。
食というのも本来は、コモンズに密接に関わる営みでしょう。
だからこそ、この本で食を通して見る世界の歴史は、資本主義的な数字の上での「成長」が、どれだけの価値の破壊の上に成り立ってきたのかを、詳らかにしてくれるのです。

それでは具体的に、世界の飢餓問題を例にとって考えてみましょう。

世界の半分が飢えるのはなぜか

飢えているのは誰?


皆さんは、上の地図をご覧になったことがあるでしょうか。
これは、ハンガーマップと言われるもので、各国の人口に占める飢餓者のパーセンテージを色分けしています。
これを見ると、飢餓に陥っている国のほとんどが、かつて植民地支配を受けた地域であることがわかります。
また、1970年代に上梓された『世界の半分が飢えるのはなぜ?―ジグレール教授がわが子に語る飢餓の真実』によると、その当時「深刻な栄養不良」状態にあった人々の75%が、農村に住んでいたとのことでした。(後述の状況を考えると、この数字は現在も大きくは変わらないと思われます)

食べ物を作るはずの農村で、なぜ深刻な飢えが生じるのか?
それは、彼らが何を作ってきたのか……もとい、作らされてきたのかと無関係ではありません。

①植民地支配の時代

学校の社会科で学んだように、植民地で育てられていたのは、綿花、タバコ、茶、砂糖、カカオ、コーヒーといった、輸出向けの商品作物でした。
大規模なプランテーションは、安い労働力として現地の人々を搾取し、土地の農業から引き剥がしました。
こうして輸出向けに作り替えられた農業は、各国の独立後もそのまま定着することになります

本書の内容とは離れますが、アメリカ大陸に渡った最初の移民も、イギリスからは綿花やタバコの種と、農耕用の家畜を持たされたのみだっため、当初は相当に食べるに困ったそうです。
そうしたことが、トウモロコシ、じゃがいも、トマトといった新大陸の野菜が広まるきっかけになった、と見ることもできますが。

②米国からの「食糧援助」

さて、現在アメリカは、小麦やトウモロコシなどを大量に輸出する農業大国です。
アメリカがここまでの農業国になった背景には、第一次大戦の戦争特需に伴う農業ブームがありました。
しかし、第一次大戦後、欧州での食糧生産が再開されると一転、バブルが弾けて歴史的な大恐慌に陥ります。

この時の教訓から、多くの資本主義国では、「大きな政府」による積極的な市場介入が行われるようになりました。
米国でも、大量に生産した作物が市場に出て値崩れを起こすのを防ぐため、過剰分を国庫に貯蔵するようになりました。
しかしやがて、貯蔵された食品の処理にも困るようになると、目をつけられたのが食糧援助です。

こうした「援助」は、短期的には人命を救うこともあります。
しかし同時に、食料のダンピングは現地の農業に打撃を与えます

例えば、日本に安価な輸入米が流入したら、日本の農家さんが廃業を迫られることを考えてもらえたらわかりやすいと思います。

こうした食料援助が、現地でどんなことを巻き起こしているのか。
その一端は、長くエチオピアでフィールドワークを続けている文化人類学者、松村圭一郎さんの「うしろめたさの人類学」から覗くことができます。

 アメリカから送られた穀物袋や食用油の缶には、星条旗の大きなプリントと共に「FROM THE AMERICAN PEOPLE(アメリカの人びとから)」の文字が記されている。そして「売却や交換は禁止」とも書かれている

なあんだ。売却/交換禁止なら、大量の食糧援助が現地に悪影響を及ぼす心配はないんじゃない?
そう思われた方もいるかもしれません。

 ところが残念なことに、エチオピアの多くの農民は英語を読めない。田舎で聞いてみたら、星条旗がアメリカの国旗であることすら知らなかった。みんなエチオピア政府が食糧を配っていると考えているようだった。
 そして定期市には、配布された穀物や食用油がずらりと並ぶ。どこの市場に行っても、星条旗のついた袋のまま援助穀物が積まれていたりする。カメラを向けても、悪びれることなく、にっこり笑ってくれる。新年の直前などは現金が必要になるので、「いまは(援助の)食用油がよく市場に出回る季節だ」なんて言葉を耳にする。

そしてこうした援助は、国の全土に等しく行き届くわけでもありません。
エチオピア人の多くは、援助がアメリカからのものであることを知らない。
それをいいことに、政権与党は配布を自分たちの貢献としてアピールする。
野党支持が多い地域では、援助がストップすることもある。
村では、村長が村の納税者にだけ、援助食糧を分け与える。

一度国内政治のロジックに絡め取られてしまえば、困窮者のための援助も、貧困や飢餓の解決からは遠いところへ追いやられてしまうのです。

③「緑の革命」という名の輸出産業

さて、援助によって体力を奪われた現地の食料生産は、その後どのような道を辿ったのでしょうか。
1960年代、「高収量」な新開発の種子と、それらを栽培するための工業的農業を途上国に導入する「緑の革命(Green Revolution)」という動きがありました。

これは、一部では収量を増やしたものの、現地の風土にあった在来種を駆逐し、現地の生物多様性を90%減少させました。 また、この農業モデルは、大量の農薬と肥料、農業機械での灌漑による大量の水を要したため、多額の金で先進諸国から農業資材を購入し続けなければならないシステムでした。

裕福な農家がこうした投資により収量を増やすと、作物の市場価格が押し下げられ、貧しい小規模農家は破産に追い込まれます。
また、借金をして「緑の革命」に参加した小規模農家も、商品価格の低下や干ばつによる不作があると、資材購入のための支出が収入を上回り、借金ばかりが増えて土地を失う例が後を絶ちませんでした。

こうして、大資本の成長により統計上の収量や収益が増えても、その影には序盤で述べたような「GDPに現れないようなささやかな生活」を奪われた困窮者、飢餓者の出現があったわけです。

まとめ

いかがだったでしょうか。
選んだテーマがテーマだったので、ズーンとくるようなお話が続いてしまいましたが……
わたしはこの本を読んだ後、これまで持っていた知識がや疑問がつながって、視界が一つ開けたような爽快感を味わいました。

政治や大企業といった大きな力とがっちり組み合っている、現在の世界のシステムを変えることは、並大抵のことではありません。
でも、知ることは無意味ではないはずです。
だって、私たちは参政権を持った主権者だし、
資本主義社会の中にあって、日々の一つひとつの選択は投票なのだから。

最後に、この本で紹介されていたアフリカのことわざと、それに添えられた筆者の言葉を引用して、結びとします。

もし、
たくさんの小さな人たちが、
あちらこちらの小さな場所で、
それぞれの小さな取り組みを始めれば、
きっと世界を変えることができるだろう。

 私たちは小さな人で、毎日の食事は小さなことです。でもその食べものに、世界の経済と政治と歴史が関わっていることは、この本から学んでもらえたと思います。自分のご飯に関わる経済や政治に気がついたら、おかしいと思った仕組みや現状を少しずつ変えてみてください。(中略)そうすれば他にも、自分の生活すべてがじつは経済や政治につながっていて、それを自分が変えられることに気がつけるはず。経済や政治を「自分ごと」として動き始める小さな取り組みが広がれば、いつかきっと世界のシステムを変えることもできるでしょう。

Look on the bright side.
最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。