Reach Out to Ecology

ひとりでも多くの人に、手の届くエコを。

売り切れの美学

※以下の記事はアフィリエイトリンクを含みます。

こんにちは、むるまです。
突然ですが皆さんは、お気に入りのお店はありますか?
わたしは近所に、大好きなパン屋さんがあります。
しょっちゅうお邪魔するわけではありませんが、お気に入りポイントはたくさんあります。

まず第一に、パンが美味しいこと。
大きくて食べ応えがあること。
店長さんがやさしくて、持参容器もいつも快く受け入れてくださること
そして何より、いつも必ず、すべてのパンを売り切って店仕舞いをされていること

というわけで本日は、しばらく前からモヤモヤと考えていた、売れ残り売り切れについてのあれこれを、語ってみたいと思います。

人気パン屋の売り切れ事情

先述のパン屋さん、近所に引っ越してきた最初の頃は実は、「いつ見ても閉まってるお店だなぁ〜」と思っていました。
それもそのはず。
人気のパン屋さんなので、実は、午後の早い時間には売り切れでお店を閉めてしまうことが多いのです

このことについて店長さんは、「一人でやっているので、準備できる数が多くなくてすみません」と恐縮されているのですが、ロスを出さずに綺麗に売り切るって、なかなかできないこと。
それだけ、このパン屋さんには「売り切れてるかもしれないけど行ってみよう」と足を運んでくれるファンと、足を運びたくなる魅力があるということなんだろうな、と思います。

売れ残りの半分は消費者の責任

しかし実際には、世の中は売り物が余ってしまうお店がほとんどです
これには色々な理由があるのでしょうが、確かなのは、わたしたち消費者の言動も決して無関係ではないということ。

お目当てのものが売り切れている売り場を前にしたとき、
「品揃えの悪い店だな」
「次からは別の店に行こう」
ネガティブな反応を示す人が多ければ、お店側は当然、顧客を失わないために「余らせない」ことよりも「足りなくならない」ことを優先するようになります

以前も別の記事で書いたように、「足りないよりは余った方がマシ」という、現代の消費に蔓延する力学は、私たちの消費行動や声の影響もあって醸成されてきたものです。

そしてこれは逆に言えば、わたしたちが「売り切れ」に寛容になることができれば、現在問題になっている食品ロスなどの解決にも、大きな前進を促せる可能性があるということでもあります。

食べ物は「商品」なのか

しかしそもそも、どうしてわたしたちは、いつでも自分の望んだ食べ物を変えることを、当たり前のように思ってしまっているのでしょうか。
それはたぶん、食べ物を「商品」として見ていることが一因なのではないかと思います。

春の山に登って、紅葉が見られないことを嘆く人はいません。
中秋の名月に雲がかかったとしても、残念に思うことこそあれ、誰かを非難する人もいないでしょう。

けれど、自分の望む食べ物が、自分の望むような価格や品質で手に入らないとき、当たり前のように不満を口にする人は少なくありません。
元を正せば、それらも自然の恵みなのに。

2021年に発売されたWIREDのVol.40では、「農業が食卓のために奉仕する」ことへの疑問が、様々な角度から投げかけられていました。
本来、持続可能で自然な農業においては、季節や土壌の状態によって、多様な作物が代わる代わる育てられるものです。
そこでは決して、年がら年中同じ味の同じ作物が得られることはありません。

そうした自然を頂く感覚を、思い出すことができたら。
自分の食べたいものに農業を合わせさせるのではなく、その時々で得られる恵みを、美味しく楽しむ謙虚さを持つことができたら
「売り切れ」「入荷待ち」に対する受け止め方も、その根っこから変えることができるのでは。
そんなことを、つらつらと考えています。

まとめ

夕飯の買い物に行くとき、献立を考えてから向かう人も、少なくないと思います。
これ自体は、ごく当たり前で罪のない行動に思えますが、そうした買い物の仕方は、「いつ行っても望んだ食材が用意されている」、余ることを前提としたフードサプライに支えられています

最近は、食品ロスについてメディアで取り上げられることも増えました。
しかし、その原因となっている「当たり前」や「便利さ」についての指摘は、まだあまり聞かれないように思います。

もちろん、食品については、「飢えないこと」を第一に、必要より少し多めに作るようにする、という長きにわたる知恵もまた、大事な点ではあります。
しかし、そういったことも含めて、まずは自分の生活を支える「当たり前」に疑問の目を向けてみること。
何が本当に必要で、何は許容できるのか、自分なりに考えてみること。
そうした上で、自分が望む未来につながる消費行動は、どういったものなのか、考えてみること。

市場を動かす消費者として、わたしたちにできることは、実はまだまだたくさんあるのではないかな、と、そんなことを思うのでした。