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問われているのは誰なのか【映画『ジョーカー』感想】

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トピック「ジョーカー」について。あからさまなネタバレは避けたつもり。

観るか観るまいか迷って迷って、結局観た。
『ダークナイト』がどうしようもなく好きだとか、観た人がほぼ例外なくジョーカーの世界に引きずり込まれたまま戻り切れずにいるだとか(それについては、観ることをためらわせた最たる要因でもある訳だけど)とか、理由は色々あるけれど、最後に思い切ったのは、今更のように読了した『マルドゥック・ヴェロシティ』の読後に巣食った虚無のやり場に困って、「毒をもって毒を制す」とか「絶望感に麻痺した今なら更なる痛手を負ったところで」とか、言うなれば少なからず投げやりとも言えるような心持ちによっていたことは否めない。

そんな前置きはさて置いて。
結論を言えば、これは観るべき映画だった。
そしてやはり、心は深く沈んでいる。
ただ、絶望感とか虚無感とか、単純に感情的なものに支配された重さとは違って。
何度も反芻して、引っかかりの正体を探らずにおれないような、自分の意識の深層まで深く潜り込んで、何かを詳らかにしなければいけないような。
そんな、じわりじわりと危機感を煽られるような心地の中にいる。

病的な笑い。
前頭葉障害による強制笑いと思われるそれは、アーサー(ジョーカー)が、感情や衝動の制御にもまた障害を負っているであろうことを示唆するものだったけれど、同時に、物語全体を覆う象徴的な記号であり、窮地に立たされたアーサーをなお悪い状況へと追い込む装置でもあった。
幼い頃から神経系に障害を負い、精神を病んでいたアーサーは、元々社会と折り合いのいい存在ではなかった。
アーサーは訴える。
「苦しみから抜け出したい」と。
しかし、弱者が守られることなく、虐げられるばかりの社会の中から、アーサーは追い立てられるように居場所を失っていく。
救いがないのは、アーサーが命を手にかけたどの場面を巻き戻しても、彼には結局同じような結末しか待っていなかったように思えることだ。
どれだけ目を見開いて必死に想いを凝らしても、取り戻しようのないものがどんどんと指の間から零れ落ちていくような感覚。
『マルドゥック・ヴェロシティ』で、超えてはならない限界点を超えて、加速度的に虚無へと飲まれていったボイルドを見ていたときと、同じ感覚。

ボイルドがヴィジョンを見たように、アーサーの意識も絶えず妄想と幻覚の中に彷徨い出していく。
そして現実と幻想を行き来しながら、次第に傷つき痛む心を、怒りと復讐心に染め上げていくアーサー。
そして、彼に笑いの宿命を背負わせたものを手にかけたことで、決定的な一線を超えた彼は、いつしかジョーカーとして覚醒していく。

かの喜劇王チャールズ・チャップリンは言っていた。
「人生はクローズアップで見れば悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」

ジョーカーは言う。
「僕の人生は喜劇だ」

いつかは大切だった人の命も奪い、苦しみながら生きた自分の人生すらも壊し尽くして、ジョーカーになった男は、人々に暗に訴えかける。
僕の人生は滑稽だろう?
お前たちが踏みつけ、笑い者にしてきた爪弾き者の生き様は、さぞや笑いを誘うだろう?

それは、己を虐げてきた者たちの醜悪を暴く、復讐の毒牙だ。
悲劇の只中にいたアーサーは、喜劇を生み出す男に生まれ変わった。
凄惨な喜劇を弄ぶ、ジョーカーに。

この映画が写し取るものは多い。
たとえば、アーサーが抱える「精神異常者」というレッテルが、いかに当事者を孤独にし、いかに周囲を残酷にするか。
誰かにとって都合の悪い存在、忌避される存在に印をつけて、切り捨てることで成り立つ「ルール」や「常識」や「クリーンな社会」が、切り捨てられた存在をどれほど追い込むか。

バットマンが、ゴッサムシティ側の「正義」を守るため、手段を厭わなず汚れ役も受けて立つという意味でのダークヒーローだったなら、ジョーカーは、その「正義」に爪弾きにされ、社会の汚点や悪と断じられた人々の反逆の象徴となったという意味で、正しくダークヒーローだった。

私がアーサーの放つ偏執狂然とした空気に哀れや恐怖を感じながら、それでもジョーカーとして覚醒し、この世の苦しみから解き放たれたように軽やかに階段を踊り回る彼の姿に、どこか胸のすくような思いを覚えたのは、追い詰められ傷つけられる彼に、少なからず感情移入する部分もあったからなのだろう。

だが、忘れてはならないことがある。
アーサーの物語は、現実と幻想とが多分に混同され、混線しながら織り上げられたものだ。
そこには常に、彼の被害者としての側面が、ただの「被害妄想」でしかなかったという可能性が潜んでいる。
いや、そもそも、アーサーという人間などいたのか。
ここに描かれた物語そのものが、確たる出来事としてそこにあったのか。
疑いはじめれば、すべてが揺らぎ出すような不確かさの上に組み上げられている。

確かに言えるのは、ジョーカーが、ゴッサムシティのどんな力学の中で生まれ、どんな意味を持った存在だったのかということだ。
その中心にいたのはアーサーだったのかもしれないし、別の誰かだったのかもしれない。
バッドマンがまだ子供だった頃の話だったのかもしれないし、その前にも後にも、実は色々な文脈の中で繰り返された話だったのかもしれない。
ジョーカーになり得る存在は、社会の闇に常に潜んでいて、いつ目覚めるともしれない。
『ジョーカー』という作品は、アーサーという男の人生を描いているようでありながら、本質的にはそこを目的にしていない、一種の寓話であるように感じた。

観客である私たちは、常に問われ続ける。
「同情するか?」「共感するか?」「蔑むか?」「笑い者にするか?」
そして虚実が混在し歪む世界で、常に自問せずにおれなくなる。
「自分のこの感覚は、果たして正しいのだろうか?」

フィクションを解釈するということは、翻って、その解釈の土台にあるものを引き摺り出すことだ。
何かを笑い、悲しむということは、その根底にある自分の価値観をさらすことだ。

『ダークナイト』の中でジョーカーは、バッドマンやゴッサムシティの市民たちに不気味に笑いかけながら、その偽善や欲、人間の本性の醜さを暴き立て、絶望とともに突き付けてきた。
『ジョーカー』でその毒を差し向けられたていたのは、他でもない、私たち観客だった。

ホアキン・フェニックスが描く軌道は、どんな息つまる場面でも、いつもどこかに道化の影を纏っていた。
深刻なやりとりの後に差し込まれる、滑稽なパントマイム。
無音映画であれば笑いを誘うような、道化者の必死の逃走劇。
劇中でごくわずか流れる『モダン・タイムス』は実に象徴的だ。
その主題歌であった「Smile」も。

これは悲劇か。喜劇か。

アーサーは看板を書き変える。
「Don't forget smile.」

これは悲劇か。喜劇か。

アーサーの物語に心を動かしながら。
そこに己の生きる現実を投影し、解釈しながら。
その実、観ている側であるはずの自分が、ジョーカーに見られ、試されているような気分になる。
解釈を通して引き摺り出された自身の独善、偏見、感情や思想の偏りといったものを、突き付けられるような心地になる。
「深淵を覗き込むとき、深淵もまた……」というやつだ。
全く、畏れ入る。

多分に物語として作り込まれ、エンターテイメントの枠組みの中に昇華されているこの映画が、こんなにも観る者の心をざわつかせ、長く消えない影を落とし続けるのは、結局のところ、そこに映し出されるのが現代社会と、何よりも自分自身の影だからなのだろう。
いっそ、何も考えずにいられたらどれほど楽か。
けれどそうするには、今の私にとって、ジョーカーという偶像が映し出すものはあまりに多い。

しばらくはきっと、この悪夢のような、物哀しい喜劇のような余韻の中に、佇み続けるのだろう。

張り巡らせられた伏線。
緻密なディテール。
幾重にも多面的な効果をもたらす構図と演出。
練り上げられた演技。

最高に上出来なエンターテイメントで、最悪に忘れられない悪夢のような。
そんな映画だった。

映画『ジョーカー』公式サイト



■関連作品 映画『ジョーカー』と関連の深いバットマン3部作は、2019年10月15日現在、Amazon Prime 会員ならPrime Videoで無料視聴できる。
映画を観て気になった人、見る前に予習をしたい人は、今の内に観ておくのがおススメ。


ダークナイト [Blu-ray]

クリストファー・ノーラン版バットマン3部作の2作目。
正直なところ、私は3部作通してというより、ただただ『ダークナイト』を溺愛している。
この作品以外の2作に対してはさほどの思い入れはなく、どちらかというと、この作品の背後にある人間関係や伏線を味わい尽くすためだけに観たようなところがある。(オイ)
『ジョーカー』の主役たるジョーカーは、この作品でバットマンの最悪の敵役として登場する。
「バットマン作品最高の悪役」として名高いジョーカーを演じたのは、当時まだ20代だったヒース・レジャー。
彼の迫真の演技は、そのアイドル的なルックスと人気に対し、キャスティング発表当初から批判的な声を投げかけていたバットマンたちを一瞬で沈黙させ、絶賛に変えた。
しかし全身全霊でジョーカーになりきり、不眠症に陥ったヒース・レジャーは、本作の公開を待たず睡眠薬の過剰服用でこの世を去った。
公開は2008年と、気づけば10年以上が経っているが、今見ても古臭さなどない。よくできた作品だと思う。


バットマン ビギンズ [Blu-ray]

3部作の1作目。
『ジョーカー』を見るには『ダークナイト』以外は関係ないだろう、と思っていたら、甘かった。
ジョーカーと幼少期のバットマン(ブルース・ウェイン)との因縁が思いの外深く、これは復習して改めて噛み締めねば……という気になった。
話としては、バットマン誕生秘話的な位置付け。
クリストファー・ノーラン作品常連と化している渡辺謙が出てきたり、ジェダイじゃないリーアム・ニーソンが出てきたりと、キャスティングがとにかく豪華で楽しい。(ガン=カタvsジェダイvsラスト侍というカオスww)


ダークナイト ライジング [Blu-ray]

3部作の最終作。
出来については正直『ダークナイト』を上回るものではなく、賛否も分かれるが、個人的にはまぁ嫌いじゃない。
アン・ハサウェイはキャットウーマンかと言われると微妙だけれど、ヒロインとしては十分チャーミングだったし、ライジングなバットマンは素直に胸熱だった。
何より、出番こそ少ないが我らがアルフレッド(マイケル・ケイン)の演技が素晴らしい
好き。超好き。多分ワイ彼のところばかりリピートしてる。
もちろんゴードン刑事(ゲイリー・オールドマン)もフォックス(モーガン・フリーマン)もめちゃ好きやけど。
……やっぱりキャスティング超豪華よね。
話の筋は正直荒いけれど、エンディングに詰め込まれたファンサービスは悪くなく、中々晴れやかな気分で鑑賞を終えられる。ここのマイケル・ケインもやっぱり胸熱だから見て。(結局それな)
『ダークナイト』や『ジョーカー』で沈んだ心を軽くしたい向きには、3部まで観ることをオススメする。(逆に、ディテールにこだわりたい人はかえってモヤッとするかもw)