Reach Out to Ecology

ひとりでも多くの人に、手の届くエコを。

「わたし」が主語の温暖化対策


「地道にコツコツやるのが大事だよ」
と、なんてセリフをよく聞きますが、大きな出来事の前には、小さな取り組みの意味を見失いそうになることがあります。
このところの私はまさにそんな感じで、まぁ、自分でやる分にはいいのですが、記事を書こうとすると何であれ
「こんなしょうもないこと書いてもなぁ……」
という気分になってしまう。

誰でもできそうな小さなことを共有して、少しでもたくさんの人と一緒に取り組めれば、というのがこのブログの初期衝動だった訳ですが、その小ささが、環境サミット後のエシカル界隈の皆さんの思いの壮大さに見合わない気がして
「こんなしょうもないこと書いて、なんかすみません」
的な気分になってしまっていた訳です。

というわけで、自分の気持ちに一区切りつけるため、本日はちょっとまじめに、CO2削減の話。
とはいえ学術的・政治的な云々ではなく、あくまで一個人としての、生き方の話です。

私にできる地球温暖化対策

温暖化の機序や、諸々の議論は他に譲るとして。
ここでは、CO2削減に軸足を置いてまとめます。

① 消費を減らす、ごみを減らす

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ものを作るのも、輸送するのも、使い終わったものを回収するのも、処理するのも。
いずれの工程においても、日本ではそのエネルギーの大部分を、化石燃料に依存しています
特に、安価であらゆるところに普及しているプラスチック製品、プラスチック包装は、元を正せば石油由来なので、ごみになってしまえばよく燃えるし多くのCO2を排出する。
ごみを減らし、そもそもごみになる可能性のある無駄な消費を減らすことは、CO2排出を削減する上でも、限られた資源を有効活用する上でも、大切な基本になります。

② 省エネ・節水

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日本では、家庭からのCO2排出要因のうち、約半分を電力消費が占めています
これは日本の発電が、CO2排出量の多い石炭による火力発電に、大きく依存しているから。
また、各家庭での家電数の増加、家電の大型化による電力消費の増大も、少なからず影響しています。(2008年以降、日本の人口は減っているのに、電力消費は増えている、というね)
仮に今後、発電の主体を再生エネルギーに移行していくとしても、安定的な電力供給のためには、無尽蔵に増大していく電力消費を、適正なレベルに抑える必要があります。
スイッチをつければ明かりがついて、コンセントに繋げば電気が流れてきて。
でもその大元では、一度使ってしまったら取り戻せない資源が消費されています。
日々の電力消費について、「これは本当に必要かな?」と見直してみるのも、大切なことですね。

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そして、CO2には直接関係なさそうに思える水資源も、浄化や各家庭への供給、下水処理などに、多大な電力を必要とします。
給湯によるCO2排出が占める割合も、15%程度と決して低くありません。
なので、水・お湯も大事に、ね。

③ 公共交通機関の利用

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電力消費に次いで、家庭からのCO2排出の約1/4を占めるのが、ガソリンからの排出です。
このため、公共交通機関が整備された地域では、自家用車の利用を控え、インフラを活用することが推奨されます。
徒歩・自転車などもいいですね。

もちろん地域によっては、自動車自体は中々手放せないところも多いと思います。
けれどその場合も、「利用を控えることはできないか?」という視点を持ってみることが大切だと思います。
車移動に慣れた地域では、5分、10分の距離を歩くのも嫌って、すぐそこの友人宅に遊びに行くのにも車を使う、という方が少なくないように感じます。
こうしたちょっとしたところで車を使うのをやめるだけでも、1年を通してみれば、中々の削減になるのではないでしょうか。

ちなみに私は、北陸の田舎で丸2年ひとり暮らしをしていたことがあるのですが、結局最後まで車を持たないままでした。
出勤や買い物は徒歩と自転車。遠出するときは大体友人と出かけるので、友人の車に乗せてもらったり、交代で運転したり。
周りからは「ここで暮らすなら車は絶対必要」と言われましたが、周囲の「絶対」が常に自分に当てはまるかは、実際に試してみなければわからないんだな、ということを実感しました。
まぁ、ひとり暮らしだからこそ出来たこと、ではあるのかもしれませんが。

④ 食の見直し

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食品ロスは近年取り沙汰される問題のひとつですが、お店からだけでなく、家庭からのロスも少なくありません。
①とも重なりますが、節約思考の買い溜めや、誘惑に負けてアレコレ買ってしまうことが、もったいない結果に繋がっていないか。きちんと振り返ってみるのは、家計にとっても環境にとっても大切なことですね。

また、食品はそれ自体が、作り出し輸送するために、たくさんの水やエネルギーを必要とします。
地産地消を意識すること、必要以上に食べ過ぎないこと、お肉や畜産物などの、生産に伴うCO2排出量の多い食品を極力避けること、など、家庭の食卓に並ぶ物の量や内訳を見直してみることも、効果的な取り組みだと思います。

⑤ 伝える

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例えば、ごみの出にくい製品や、生産における環境負荷の少ない製品を選んだとして。
例えば、本当は買いたいけれど、包装や含有物の環境負荷が気になって、購入を見合わせた商品があったとして。
そういった選択の理由を企業側に知ってもらうことは、消費者としての選択そのものと同じくらいに、大切なことだと思います。

電話やメール、店頭アンケート。
ふと気がついたときだけでもいいと思います。
「消費者の声」を届けるアクションを、ひとりでも多くの人が取れば、企業は私たちの選択の理由を、知ることができます。
同じように、普段接するお店の人にも、「ごみを減らしたいんです」「こういう商品さがしてました」と、要件に添えて伝えるようにしてみる。
そして選挙にも行く。

こうした積み重ねが、自分が選びたいと思える商品が並ぶ売り場を作ることに繋がります。
需要と供給のいい循環を作っていくためには、需要を伝えることも必要ですよね。

温暖化対策の壁

そんな感じで、個人単位のCO2削減には、私ひとりが思いつくだけでも実に様々なアプローチがあります。
それでも行動する前は、「無理だ」「難しい」と感じて、足踏みしてしまう人も少なくないかもしれません。
とはいえ、置かれている環境や暮らし方は人それぞれで、難しさの内訳もきっと、人それぞれ。
ひとつの難しいことがあったとしても、すべてを無理と決め込む必要はありません。

そこでここでは、できそうなことを探して取り組んでいくために、そもそもどういったことがハードルになっているのか、整理してみたいと思います。

① 環境・健康面などの外的要因


仕事や住んでいる場所の関係で、どうしても車移動が必要、だとか。
病気で医師の指導を受けているから、食べ物は自分の自由にならないんだよ、とか。
家庭内や職場で無駄を感じていることがあるけれど、周囲の人の理解や協力が得られなくて、中々変えられないのよ、とか。

自分の意思ではどうにもならない物理的障壁というのは、こういった問題に限らず、様々な場面で直面することだと思います。
自分はやる気があるのにできない、というのは、ものすごいフラストレーションなので、気づけばその壁にこだわって、延々と自分の時間とエネルギーを注ぎ込んでしまったり、なんてこともあるかもしれません。
でもそれって、もったいないよね。

ちょっと視点を変えれば、壁にはどこかに切れ目があって、今の環境や自分でも実行可能なアプローチが、きっと見つかります。
超えられない壁は気になるけれど、大丈夫。どれだけバリアフリーに可能性が開かれている人でも、最初から全部のことに取り組むことはできません。
どの道みんな、順番にやっていくしかないんです。からだはひとつですから。
だから、今できることを見つければいい。
こだわるのをやめて、他の場所で他のアプローチに取り組んでいる間に、壁だった場所に割れ目ができてきたり、乗り越えるためのアイディアが降ってきたり。
人生案外、そんなもんです。

なので、自分ではどうしようもない壁にぶつかったら、ひとまずはその悩みのエネルギーを、前進のために使えるエリアを探してみましょう。

② お金のゆとりがない


これは①とも重なりますが、「お金のゆとりがないから、いまの生活を変えるのは無理!」と感じることもあると思います。
そういう場合は、まずは「エコロジカル(環境にやさしい)」にも通じる「エコノミカル(お財布にやさしい)」な変化を取り入れてみましょう。
無駄遣いをやめたり、無駄食いをやめたり、省エネしたり。
少し手間をかけらるのであれば、家の中の不用品をフリマアプリなどで売ったり、コンビニ弁当やお惣菜を買って帰る代わりに、簡単な自炊をしてみるのもいいと思います。

ただし、ストレスを溜め込むと人間、思考力が低下して無駄遣いしがちになります。
自分にとって大切な趣味や息抜きを無理に減らすよりも、まずは、気乗りしない飲み会だとか、付き合いや義務感や見栄で買っているものだとか、長いこと使っていないのにコンセント差しっぱなしの家電とか、そういう、自分を幸せにしてくれていない無駄から削っていくことをお勧めしたいな、と思います。
そうやって身軽になってみると多分、今より少し、生きやすくなりますよ。

③ 精神的ゆとりがない


生活を見直したり、変化を受け容れるためには、それ相応の心のゆとりも必要です。
そういう余白を自分の中に見出せないときは、地球規模の話はひとまず横に置いて、自分の心の中を窮屈にしているものが何か、ゆっくりと見つめてみるのもいいと思います。

楽しみのつもりで接しているSNSやメディアに、知らず知らずのうちに消耗していたり。
からだが重くて動かずにいることが、からだや心を一層重くしていたり。
お酒の飲み過ぎが眠りを浅くしていたり。
暴飲暴食の自己嫌悪が、慢性的に心を苛んでいたり。

やめたい習慣ほど、やめるのが難しかったりしますが、やめられない自分を責めるのをやめて「人間の意思なんて弱いものさ」という前提で工夫してみると、案外上手くいくこともあったりします。
例えば私は、SNSの利用を減らすために

  1. SNSの通知をoffにする
  2. SNSアプリをフォルダにしまってワンアクションで辿り着けないようにする or 必要ないものはアンインストールする
  3. SNSを見たくなったら、ノートに落書きする or 本か何か読む(大体は何かoutput/ inputしたいときなので)

ということをやってみました。
「やめなきゃ!」と思うエネルギーを使わずに済む工夫を考えることに、エネルギーを注ぎ込むスタイルです。
成功のポイントは、① やめたい習慣にアプローチするハードルを高くする② やめたい習慣を、そう悪くない習慣に置き換える、というあたりですね。

話が逸れましたが、環境問題に取り組むような心のゆとりなんてないよ!
そのゆとりを作るところから取り組めばいいと思うよ。というお話。
たぶん、このページを見るくらいのエネルギーと問題意識のある人なら、焦らずともいずれ、仲間に加わってくれると信じています。
一歩進んで二歩下がるときもあるかもしれないけど、大丈夫。
自分のペースで焦らず行きましょう。

④ 思い込みに気づいていない

先日、「電力削減もかねて、ムーディーにソネングラスの灯りでお風呂に入っちゃる(^ω^ )」と、いそいそとソネングラス持ってお風呂に入ったのですが。


……なんていうか、電気付けてなくても全然明かり足りてますね。
という事実に直面しました。
私はド近眼で、入浴時はそもそも細かいものが見えないので、ものの所在が何となくわかるレベルの明るさがあれば十分です。
なので、これくらいの明るさがあれば無問題。というか、スムーズな就寝を考えると、これくらいのやや暗め環境はむしろ理想的。
今の物件に引っ越してきてから3年近く。
お風呂の扉にアクリル板を使ってるようなモダンなお部屋に住んだことがなかったので、気付かずにいましたが、どうやら毎晩、必要のない電気をつけていたようです

長いこと生活していると、私たちの中には知らない間に「これは必要に決まっている」「これはこうじゃないと困るはず」という、たくさんの当たり前が積み上がっています。
でも、こういった思い込みの中には実は、日々の変化の中でいつの間にかいらなくなっているもの、そもそもいらないものが、たくさん隠れています。

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そうした思い込みに加えて、私たちのからだと心には、変化を避けようとするホメオスタシス(恒常性)が働いています。
何かを変える、という話が出たとき、反射的に、無意識的に「嫌だな」「怖いな」という気持ちが出てくる。
①〜③で上げた壁の中にも、時には本物の壁だけでなく、変化を拒否する心理が作り上げた、変わらないための言い訳が紛れ込んでいることがあります。
だから個人的には、実はこの「思い込みの壁」を突き崩すのが、一番難しくて、でも一番大きな前進をもたらしてくれるんじゃないかな、と考えています。

何よりこういう変化を嫌う無意識は、問題意識の共有をも妨げます。
何かヤバいことが起こっていても「大丈夫でしょ」「しばらくしたら元通りになるよ」と、問題を過小評価して、普段と変わりないと思い込もうとする。
「正常性バイアス」と呼ばれるこの心理は、多くの人が「温暖化なんて、騒ぐほどのことじゃないでしょ」と思ってしまう(思いたくなってしまう)、大きな原因のひとつです。

過去にも様々な事故や災害で、この「大丈夫でしょ」という心理的誤認のもと、驚くほどたくさんの人が早期の対応を怠り、命を落としてきました。
人間の感覚や感情というのは、こと、非常事態の認識においては、多くの人が信じるほど当てにならないものであること。
だからこそ、客観的な事実に基づく判断と行動が大切であることは、もっと多くの人が認識する必要があるのではないかと、感じています。

温暖化対策に個人が取り組む意味


ここまで色々考えてきましたが、さて。
家庭でのCO2削減だけで、十分な温暖化対策が可能か?
答えはNoです。
日本のCO2排出量において、家庭からの排出が占める割合は15%程度です。

では、個人の取り組みは無意味なのか?
そりゃそうでしょ、と思われるかもしれませんが、合理的に考えれば、これもやはり違うと思います。

日本の部門別CO2排出量で、最も多いのは産業部門の35%、これに運輸部門の18%が続きます。
家庭部門はすでにふれたとおり、15%程度。
ですが、個人という単位で捉え直すと、産業、運輸、更には各会社の業務や工業生産のいずれについても、私たちは消費者として加担しています。
少なくとも、足りないよりは余った方がマシ、という、現代の消費に蔓延する力学は、私たちの消費行動や声もあって、醸成されてきたものです。
こうした価値観による食品ロスや余剰品廃棄の影響を振り返るだけでも、私たちは社会に対して、決して無関係とは言えないのではないでしょうか。

各部門の排出量を大きく削減するためには、国や企業という大きい単位での変革が必要でしょう。
けれど、その後の変化を促し、維持することは、生産者サイドだけでなく、消費する側の意識が変わらなければ難しい。
何より消費者の選択は、生産者の判断に影響を及ぼす、最も重要な要素のひとつです。

直接的に日々のCO2排出を減らす意味でも。
間接的に、将来的に社会全体としてのCO2削減を図っていくという意味でも。
私たちは、一消費者としての自分が持つ影響力を、過小評価すべきではないと、私は思います。

まとめ


改めて考えると、温暖化対策というのは本当に難しい問題だな、と感じます。
気候、経済、生態系、地域、政治、技術、健康、安全などなど……実に多種多様なファクターと、全世界の利害が絡み合い、しかも突発的な異常気象と、何十年、何百年単位での長期的な影響とを計算に含めなければいけなかったりと、時間軸も超絶ややこしい。

こういうものを前にすると、「こんなの一般人には何もできないよ」と思いたくなってしまいますが、本当のところは逆です。
これだけ大変でややこしいからこそ、少数の偉人たちの魔法の杖に期待するだけでは、不足なんだと思います。
私たちは多分、無自覚な個々人による数の暴力を、もう少し自覚した方がいい。

そしてもうひとつ。
この問題に限らず、「不可能と思えるほと困難である」ことと「不可能である」ことの区別が適切にできることは、自分自身の足で立っていく上で、とても大切なことだと思います。
難しそうだな、嫌だな、と思っても、理性的に考えて無理でないなら、無理と決めつけるべきではありません。
無理そうでも無理じゃないなら、やってみた方がいい。
特にそれが、命に関わることならば。


そんなこんなで、いつになく堅苦しい長話、失礼致しました。
最後までお付き合い下さった方がいらっしゃったら、ただただ感謝です。
明日からはきっとまた、通常運転で下らない日々のあれこれを書き散らかしていると思いますが、それもこいつなりの取り組みなんだね、とあたたかく見守っていただければ幸い。

ただ、日々が健やかであればいいな、と。
まぁ結局のところ、つきつめればそればかりが、私の願いなんでしょうね。


■参考
全国地球温暖化防止活動推進センター
CO2排出の集計については、調査機関毎に多少のズレはあるかと思いますが、今回はこちらのデータを参照させて頂きました。
ありがとうございます。