明日やればいいことなら今日はやらない。
できれば明日もやりたくない。
目の前に「しなきゃいけないこと」の山があれば、いつかなくならないかいつまでもじっと睨みつけてる。
睨んでる間に夜になる。(そして山は山のまま)
物心ついたときから、そんな感じ。
「えー、面倒くさいなぁ」
そんな口癖自体は、今も昔も変わらなくて。
でも今は、それでもあんまり問題なく生きてます。
ひとり暮らしで、私以外に手入れをする人間のいないはずの部屋は、それでも今日もそこそこ快適に片づいてるし。
何故だろう?
ふと思って、気づきました。
「ああ、面倒くさがり方が変わったんだな」
というわけで本日は、面倒くさがり屋がラクチンかつ快適に生きるための話。
目次
「面倒くささ」のパラダイムシフト
そもそも「面倒くさいこと」ってなんでっしゃろ。
人によるかもしれないけど、「やらなきゃいけないけど気が進まないこと」であるのは、概ねみんな共通してるんじゃないでしょうか。
そしてそういう面倒くさいこと程、定期的に繰り返さなきゃいけないことが多かったりします。
私はそういう繰り返しに対して、最初の頃は「何とかなかったことにならないだろうか」と無駄な抵抗を試みていました。
宿題をやらないで粘ってみたり。(そして期限ギリギリに泣きながら徹夜する)
洗濯物を貯めまくってみたり。(そして着るものがなくなってヘロヘロになりながら洗濯する)
部屋の掃除機掛けをサボりまくってみたり。(そして生理的に無理、となって必死で掃除する)
繰り返すうちに、さすがに「これは抵抗した方がしんどいぞ……」ということを学習して。
なるべく後回しにしないようにしよう。
真面目に生きるぞ!
意志を強く持つのだ!
そういう風に自分に言い聞かせてみたりもしました。
まぁでも、それができるなら最初から面倒くささに負けてないのよね。
けれど色々と試行錯誤する内に段々と、自然と、面倒くささの芽を摘み取っていくのが上手くなりました。
考え方の根っこが、変わったのです。
「面倒くさい」を繰り返さない
面倒くさいのが嫌いで、面倒くさいことを繰り返すのにもうんざりしていた私の面倒くさいゲージは、あるとき臨界点に達しました。
「こんな面倒臭いこともう二度としたくない!」
ぷっつーんときました。
ぷっつーんきた結果、二度と面倒くさいことをしないで済むように、「いま」めちゃくちゃ考えたり行動したりすることを、面倒くさがらなくなりました。
何だか矛盾するようだけど。笑
この先100回、1000回の面倒くささを免れるためなら、いま1回の面倒くささは全力で引き受けるぜ!
というモードにシフトしたんですね。
結論からいえば、これは大正解でした。
具体例を見てみましょう。
①長く使えるものを選ぶ
例えば、炊飯器。
ひとり暮らしをはじめたばかりの私は、当然買いました。
ご飯を炊いたり、あれこれ炊き込んでみたり、ケーキを作ってみたり。
それなりに楽しく使っていた記憶があります。
けれど、3、4年したところで、ご飯のこびりつきが如何ともしがたいレベルに達します。
フッ素加工が傷んでしまったんですね〜
安物だったし、はじめての炊飯器で私の扱いが悪かったのもあるんでしょう。
すぐに、おかまのスペアが売っていないか探しましたよ。
だがしかし……売っていない。泣
おかま単独では売っていなくて、アレコレ調べた結果、どうやら炊飯器そのものを買い直すしかないらしい。
という結論に達しました。
ま、マジか……
当時の私は学生で万年金欠で、炊飯器を買うお金はポンと出ません。
それに、炊飯器の種類もたくさんあって、リサーチして選ぶだけで頭パーンなりそう……
「こんな面倒くさいこと一生にあと何回繰り返すん? 」
思って、決めました。
「よし、炊飯器はやめよう」
そして私が買ったのはこちら
お鍋でご飯を炊くのは、やってみると意外に簡単で、使わないときは場所も取らなくて、なんて身軽なんだ!
と嬉しくなったのを覚えています。
いまは、これは友達にあげてしまって
ル・クルーゼのココット・ジャポネーズ
他のお料理にも兼用できるこちらを使っていますが、多分今後、炊飯器生活に戻ることはないんだろうな、と思います。
だって、お鍋ならずっと使えるんだもの。
②省ける手間を省くために、トコトン考え抜く
たとえば、洗濯物を洗って、干して、収納するまでの流れ。
たとえば、お皿を出して、使って、洗って、収納するまでの流れ。
洋服のアイロンかけ。
部屋の掃除機かけ。
郵便物の仕分け。
などなど。
毎日毎日やることちょっとした「やりにくさ」を、ひとつでも多くみつけて、改善できたら。
それが1分でも、1秒でも、1年積み重ねれば、10年積み重ねれば、とっても大きな「時短」になります。
ちょっとでも「これ嫌だな」「これ面倒くさいな」と思うことがあったら、「どうしたら楽になるかな?」と考えてみる。
明日の5秒のために今日10分、20分使ったとしても、それは1年もあれば余裕で回収できちゃう投資です。
せっかく面倒臭いと思ったなら、流さず「要改善リスト」に書き加えておく。
この積み重ねが、快適を作ります。
これは具体的に書くと長くなっちゃうので、ご紹介は別の機会にと思いますが、私のお洗濯や洗い物は、導線や道具の無駄を極限まで排除した、鬼面倒くさがりや仕様です。笑
③気乗りしないことほど習慣化してしまう
面倒くさがり屋の習性として、とにかく「動き出すまで腰が重い」というのがあると思います。
「やるぞ!」と決断するのが何よりの一仕事。
どうせ意志薄弱ですよ……
で、そういった場合、実は「毎日やる」と決めてしまった方がかえって楽だったりします。
面倒くさいことを毎日やるって、矛盾してる気がしますけどね。
けれど、1週間試してみるとわかるのですが、「やるタイミング」と「やること」を決めてしまうと、何かを決断したり判断したりする必要がなくなるので、「やるぞ!」と腰を上げるしんどさが段々薄れていくんです。
私はとにかく洗濯が嫌いだったのですが、お風呂に入る前に洗濯機に服を放り込んで回し始めて、お風呂から上がったら洗いあがったものを干す、というサイクルを決めてしまってからは、全く心理的な抵抗なく、体が勝手に動くようになりました。
「今日は洗濯しようかな? 明日でもいいかな?」と悩むからこそ、「今日するぞ」と決断する負担が心にかかる。
最初から、「洗濯は毎日するもの」と決めてしまっていたら、そもそも決断する必要がないので、脳が随分と楽をできます。
溜め込んでたら10分20分かかる洗濯物干しも、1日分だったら5分で終わるしね。
面倒くさがり屋のミニマリズム/面倒くさがり屋のゼロ・ウェイスト
考えたらもっと他の例も出てきそうな気がしますが、ともかく、すべてに共通するのは 「明日の無駄を省くために今日の時間を使う」こと。
改めて考えてみると、これって、ミニマリズムやゼロ・ウェイストと、とても親和性の高い思考法だな、と思います。
ミニマリズムも、ゼロ・ウェイストもそれを目指す途上では、それまでのやり方を見直して新しいことを試したり、新しいものを取り入れたりするため、一時的にはかえって無駄が出たり、面倒くさかったりします。
でもそういった過程を経て作り上げたシステムが、一度スムーズに回りはじめてしまえば、その後はずっと無駄なく、負担なく、ロー・コストに暮らしていくことができます。
環境にとって低負荷な暮らしって、結局何よりも一番、自分にとってサスティナブル(持続可能)なんじゃないでしょうか。
そう思うと、私がミニマリズムやゼロ・ウェイストに興味を持ったのは、当然の帰結だったのかも。
世の面倒くさがり屋のみなさん、一緒にサスティナブル・ライフ、どうでしょう?
この漫画読んだら「ワイのことかな?」と思ったよね。
そして続編が『面倒くさがりの自分を認めたら部屋がもっとキレイになりました』で、やっぱり「ワイのことかな?」と思ったよね。