レス・ウェイスト・ゲーム

ゴミと無駄を減らして身軽に自由に。ものぐさライフログ。

湯シャンを試して良かったこと。

blow

家の中にモノが溢れていた数年前。
ミニマリスト系ブログを渡り歩いて、せっせとお片づけを進める中で、「湯シャン」というものを知った。
その当時の私は、顔も頭皮も恐ろしい程の脂性肌で、寝る前に念入りに髪を洗っても、午後には頭皮の脂臭さが気になるような……いや、何なら朝一番に頭皮をさわって、その手を臭ってみると、なんとなく油臭く感じるような……(気にし過ぎだったのかもしれないけれど)
そんな有様だった。
そのくせ、毛先は乾燥して髪はうねって、ゴワゴワ跳ね回る毛先とアホ毛のせいで、服やメイクを気にしても、いつもどこか冴えない雰囲気。

湯シャンを知ったときも、「脂ギッシュには無理でしょう」と思ったわけだけれど。
とはいえ何事も実験だよね。
と思って、何ヶ月か試してみた。

結論からいえば、私は今現在、湯シャンは続けていない。
けれど、湯シャンを試したことで、自分のヘアケアの根本的な問題点に気づけたし、そのお陰で今は、頭皮は一日を終えてもサラサラ、髪もしっとり落ち着いて、フォーマルな場面でも無理なく整えられるようになった。

なので、私と同じように、髪のパサつきや頭皮のベタつき、臭いで悩んでいる人がいたら、今日の話は参考になる部分もあるかもしれない。

湯シャンって何?

私の理解が間違っていなければ、「湯シャン」というのは、シャンプーを使わずにお湯で洗髪すること。
シャンプー使わんのになんの「シャン」やねん。と思うけど、まぁ、こういう言葉って多分に雰囲気よな。

やり方についてはサイトによって色々なことが書いてあって、何が本家本元かは不明だったけれど

①洗髪前に丁寧にブラッシング(滅多に髪を洗えない平安のお姫様のようだ……)
②洗うときは、熱過ぎずぬるすぎずなお湯で流しつつ、指の腹で丁寧に地肌をもみもみ
③洗い残しがないように隅々までもみもみ(洗い残しは臭いの原因)

以上が概ね皆さんagreeな内容のようで、普通にシャンプーするよりよっぽど時間かかりそうだなぁ……
というのが正直な感想だった。

湯シャン後のトリートメントについてはする派・しない派あり、意見が分かれていてようわからんかったので、その辺は現場感覚に委ねることにして、何はともあれゆるっとはじめてみた。

湯シャンを試す前の私の洗髪習慣

と、その前に、そもそもの私の洗髪習慣について。
かつての私は、親から教わった「髪は2度洗いすべし」という子供時代からの習慣の元、たっぷりのシャンプー液をもこもこ泡立てて、1回、2回と洗髪していた。
これだけ念入りに洗っているのに、ひどい時には2度目のシャンプーを洗い流した後も、しつこく皮脂の臭いが気になって、更に念入りに3度目のシャンプーを行うことすらあるような有様だった。

そしてパサパサの髪を何とかするべく、これまたたっぷりとコンディショナーをつけて、しっかり時間を置いてから洗い流して。
それなのにパサパサの髪はアホ毛とハネ毛が群雄割拠で、哀れんだ友達からもらった柘植の櫛を使っても、ちょっとマシだけど焼け石に水よな……という。

何だか思い出して悲しくなってきたけれど、地道に自己評価をえぐってくる、そんな地味なストレスを抱えて日々を過ごすのが、当時の当たり前だった。

湯シャンを試してみて

そんな感じの猛烈シャンプー人間だったので、いきなり連日の湯シャンは厳しいと判断。
まずは隔日からスタートしてみることにした。
また、湯シャンモードに少しでも髪環境をならすべく、シャンプーをする日もなるべく1回洗いに止めてみた。

皮脂が減った

チャレンジを開始したのは、そろそろ乾燥が気になりはじめる秋も終わりの頃。
普段の念入りなシャンプーの代わりに、念入りな(しかしやさし〜い)お湯洗いのみをして。
翌日は、いらぬ刺激を頭皮に与えるのはよろしくないと理解しつつ、ついつい気になって頭皮に指をあてがっては匂ってみる……という行動を繰り返していた訳だが(挙動不審)、意外にも恐れていたような脂臭さはなかった。
むしろ、夕方の脂ぎり方は普段よりややマシなような……?

それでも、髪の毛に残った皮脂が髪を重たくしている感じはあり、シャンプーをした日はやっぱり髪がさらさらして気持ちいいなぁ〜、と再認識した。

けれど意外と悪くない滑り出しに、湯シャンの日を1日にしたり2日に伸ばしてみたり、と髪の状態で調整しながら、変化を楽しみながらいつのまにか1ヶ月、2ヶ月と続けて。

変化は明らかだった。
皮脂が減った。
一日の終わりになっても自分の頭が臭ったりベタついたりしなくなったし、ごく少ない量のシャンプーでも十分に洗えていると感じられるようになった。
そして変わったのは、体感だけではなかった。

髪のパサつきが減った

それまで、鏡を見るたびにうねって跳ね回るアホ毛が気になって、躍起になって撫でつけたり、果ては抜いてしまったりしていたけれど、湯シャンをはじめて2週間ほど経った頃には、そんなことは必要なくなった。

目に見えて髪が落ち着いて、収まりが良くなった。
ツヤが出て、自然とまとまるようになった。
洗い流さないタイプの色々なヘアトリートメントで潤いを与えようと頑張っていたけれど、そんなことをしなくても、自前の潤いでこの髪はやっていけるんだなぁ。
ということがわかった。
(と言いつつ、コンディショナーなしは指通り的に無理そうだったので、こちらはシャンプーありなしに関わらず続けた)

「洗い足りない」という勘違い

そもそも、大量のシャンプーを消費していた頃。
思い返すと、しっかりと泡立たなければそれは「洗い足りないのだ」と思っていた。
でも、シャンプーの量を減らしてわかったのは、自分はただただ「洗い過ぎていた」という事実だった。

界面活性剤の泡は、脂と中和して消える。
その後に残る泡は、洗い流すべき脂以上に存在する「過剰な洗浄液」によるものだ。
皮膚が脂を分泌するのは本来、乾燥から体を守るためで、だから脂が過剰に奪われれば、皮膚としては更なる脂を産生して頑張る他ない。
それをまた多量の洗剤で洗い流して、そこにまた脂が産生されて……

うーん、イタチごっこ。

どうやら自分が繰り広げていたのは、随分と不毛な争いだったようだぞ。
そう気づいた頃には、私のベタベタ頭皮・パサパサ髪問題も、それに付随する諸々のコンプレックスも、ゆるやかに過去のものと成り果てていた。

劇的に減ったシャンプー消費

結果からいえば、湯シャンはやめた。
お湯だけで丁寧に十分に汚れを洗い流すのは意外と時間がかかるもので、その苦労はシャンプーという文明の力の偉大さを改めて教えてくれた。
何より、シャンプーの量を適切にセーブして、しっかりと洗い流しさえすれば、湯シャンなどしなくても乾燥も皮脂も問題にならないのだとわかってしまえば、特段続ける必要性も感じなかった。
しかしシャンプーの消費ペースは、多分もとの5分の1……いや、もっとずっと遅くなったと思う。

汚れ具合に合わせて洗う、という当たり前

しっかりとお湯で頭皮の汚れを落とした後、残った皮脂を泡立つか泡立たないか、くらいの少量のシャンプーで洗い流す。
それが現在の私の基本で、あとは日によって微調整している。
友達と飲みに行って、飲食店の油っぽい空気が髪に残ってるな、と感じたときは、少し多めにシャンプーを使ったり。
逆に、家でのんびりと過ごして、皮脂汚れもお湯で洗い流せてしまうくらいにしかないときは、シャンプーは使わずに済ませたり。
頭皮や髪の状態を感じながら、その時々に合わせて洗う。

何事もやり過ぎはよくない。
とても平凡な結論だけど、私の場合はその当たり前を深く実感するのに、洗い過ぎという極端から、湯シャンという極端へ舵を切る経験が必要だったのだろう。
人間、自分のこととなると冷静になれないもんですね。
お粗末さま。